添乗員の声

ツアー期間:
2010年02月21日〜2010年03月01日
船名:
マリナー・オブ・ザ・シーズ

ロサンゼルスのサンペドロ港発着のメキシカン・リビエラクルーズ。13.8万トンの大型客船マリナー・オブ・ザ・シーズでメキシコの3カ所の港を巡りました。
2月の寒い日本を抜け出し温暖なメキシコは天候も安定しており連日汗ばむ陽気でした。船内では人気のアイススケートショーが行われており、日中の陽気から反転、スケート場はひんやりとしており見ている間も心地よく感じました。プロスケーターも参加するこのショーは、最後に船客総立ちでスタンディングオベーションが沸き起こりとても印象的でした。

メキシコというと内陸部もしくはカリブ海沿岸のカンクンなどが有名ですがカリフォルニア半島の付け根の部分のカボサンルーカスなどはクルーズだからこそ訪れる価値がある港ではないかと思います。どの港もアメリカ人向けに開発された印象を受けますが洗練された大人のビーチリゾートという印象です。
旅行代金もヨーロッパやカリブ海と比較するとリーズナブルな価格に抑えられておりますので値段を重視するお客様にはお勧めしたいとコースです。

【写真】
1枚目:プエルトバジャルタ港に停泊するマリナー・オブ・ザ・シーズ
2枚目:カボサンルーカスの港にて
3枚目:ランズエンド(地の果て)の奇岩
4枚目:アイススケートショーフィナーレ

添乗員:松浦

ツアー期間:
2010年01月27日〜2010年02月04日
船名:
レジェンド・オブ・ザ・シーズ

シンガポールから乗船するクルーズの場合、日本からのフライト時間により乗船前にシンガポールに1泊する必要があります。今回のクルーズは夕方にシンガポールに到着するフライトだったのでマリーナ地区の人気ホテル「マンダリンオリエンタルホテル」をご用意しました。お客様には非常に好評でした。
翌日は、レジェンド・オブ・ザ・シーズに乗船。
最初の寄港地ブンタウでは、港からバスに揺られること約2時間ホーチミンチティに到着。統一会堂(旧大統領官邸)やサイゴン大教会、ドンコイ通りなどにご案内。ホーチミン最大の市場「ベンタイ市場」は隅から隅までエネルギッシュなベトナムの匂いがぎっしり詰まったそんな場所でした。
翌日は、ベトナム一のリゾート地「ニャチャン」に入港。テンダーボートでの上陸でした。ニャチャン大聖堂や大きな白い仏像のロンソン寺、チャンパの王によって建設されたポーナガル塔、市民の台所ダム市場などにご案内しました。ダム市場では狭い通路をたくさんのバイクが行き交う光景が印象的でした。
翌日は、ダナンに入港。ダナンからベトナムの2つの世界遺産ミーソン&ホイアンを1日かけて巡りました。港から約3時間かけてミーソン遺跡に到着。炎天下の中、チャンパ王国の聖地の遺跡群をご見学いただきました。周りを山々に囲まれた神秘的な雰囲気でした。ミーソン遺跡からホイアンの町に移動しました。この日の午後は忙しくこの日2つ目の世界遺産の観光です。日本人町と中国人町に架かっていた屋根付きの橋の来遠橋(日本橋)などご見学。ホイアンでは少しの時間だけのフリータイムをお取りしお目当てのお土産を探す皆様の姿がとても印象的でした。
最後の寄港地としてベトナムが世界に誇る世界遺産「ハロン湾」へ。朝霧の中、航行する本船から見たハロン湾の風景はまさに神秘的でした。ロンティエン寺やハロン市場などご見学後、昼頃にハロン湾クルーズ船に乗船しました。クルーズ船船上で海鮮料理のご昼食です。途中、水上市場に立ち寄りました。日本では天然記念物のカブトガニが売られいたのは驚きでした。洞窟にも立ち寄り約3時間のクルーズをお楽しみいただきました。
7泊8日でベトナムの3都市を巡りました。レジェンド・オブ・ザ・シーズとは香港でお別れ。春になったら同船初の日本発着クルーズで再会することを約束して下船しました。

ベトナムを南から北へ縦断し、ベトナムの各寄港地では専用車・専用ガイドでご案内させていただきました。ホーチミンの統一会堂、美しいニャチャンビーチ、荘大なミーソン遺跡、どこか懐く感じたホイアンの町、世界遺産のハロン湾クルーズなどどれをとっても印象的でした。真冬の日本を抜け出し温暖な東南アジアの旅は連日寄港地が続きます。また炎天下での観光となりますので体調管理に気を付けてご参加ください。

【写真】
1枚目:ダナンに停泊中の「レジェンド・オブ・ザ・シーズ」
2枚目:サイゴン大教会
3枚目:ホイアンの来遠橋(日本橋)
4枚目:ハロン湾クルーズ船

添乗員:松浦

ツアー期間:
2009年11月21日〜2009年11月29日
船名:
コスタ・クラシカ

11月の三連休ということもありコスタクラシカの待つ香港までのフライトは超満員でした。香港でコスタクラシカと対面。実は1カ月前に晴海ふ頭に入港の際に一部のお客様は船内見学会にご案内しておりましたので約一カ月ぶりの再会でした。マニラに向け香港を後に。両舷に広がる香港自慢の100万ドルの夜景が印象的でした。

最初の寄港地マニラでは、城塞都市イントラムロス内のサンチャゴ要塞、マニラ大聖堂、世界遺産のサンアグスチン教会などにご案内いたしました。昼食は現地の人の間でも人気のレストラン「カマヤン」で和食とフィリピン料理をお召し上がりいただきました。お寿司やそばが大人気でした。
次の寄港地はコタキナバル。スバ州の市立モスクをご覧いただき中国寺院の普陀寺へご案内。その後、サバ州立博物館の館内を約1時間かけてサバ州の歴史を紹介いたしました。最後に州立モスクにご案内し男性専用モスクの中で記念写真。コタキナバルと言うと世界遺産のキナバル山やオラウータンのイメージが強いですが、市内はショッピングモールをはじめ都市化されており皆さま驚かれていました。
最後の寄港地である黄金の国ブルネイの首都バンダルスリブガワンの外港ムアラ港に入港しました。港でいつも通り日本人ガイドさんと待ち合わせ。今回のガイドは女性の神尾さん。なんとこの神尾さんはブルネイ政府が認めたライセンスガイドの日本人第1号とのことです。港から市内まで45分かけて移動し、まず世界最大の水上集落をボートに乗って見学しました。学校、モスク、警察、カフェすべてが水上集落内にあり現国王もこの集落出身とのことです。集落のお宅でマレー菓子をいただきました。その後オールドモスク、そして現国王のポケットマネー(その額なんと500億円)で作られたニューモスクをご見学いただきました。黄金のドームが印象的でした。最後にロイヤルレガリア(王室資料館)を見学し船に戻りました。出港が14:00のため滞在時間が短くて非常に残念でしたが、なかなか訪れる機会の少ない国だったので皆さま観光ができ良かったとのお言葉をいただきました。

下船地のシンガポールまで終日航海日があり最後の船上ディナーを皆さま揃ってお召し上がりいただきました。またこの日は恒例の船長主催のフェアウェルパーティーに参加しました。最後のメインショーは「スペインの情熱」をお楽しみいただきました。シンガポールで下船し午前は市内の見所にご案内いたしました。昼食は名門ラッフルズホテルにてシーフードビュッフェをお召し上がりいただき、セントーサ島なども観光し帰国の途へ。
出発の香港からシンガポール、寄港地にフィリピンとマレーシアとブルネイという9日間で5か国を巡る珍しい航路でした。クルーズ旅行だからこそ実現できるコースだったと思います。珍しい航路は今後も継続的に企画していきたいと思います。

【写真】
1枚目:コスタ・クラシカ外観
2枚目:ニューモスク/イスタナ・マルル・イマン(世界一大きな王宮)
3枚目:ブルネイの水上集落
4枚目:クリスマスカラーに彩られたラッフルズホテル

添乗員:松浦

ふじ丸で航く横浜花火大会と北海道・三陸クルーズ

ツアー期間:
2009年06月02日〜2009年06月07日

横浜港の開港は安政6年(1859年)6月2日です。
開港150周年を迎えたこの日にふじ丸をチャーターし記念式典と横浜花火大会を船上からご覧いただく特別なチャータークルーズでした。大勢の横浜市民に見送られ大さん橋を出港し釧路へ向かいました。
釧路では市民向けの船内見学会と食事会を実施しました。三遊亭圓歌氏(新大久保駅の駅員から落語家になった。三遊亭歌奴としての方が有名)による高座は当初1回を予定しておりましたが市民の方の希望が強く600名様の応募があり昼食会も交代制で2回行いました。
釧路では世界遺産の知床エリアをはじめ、知床五湖ウォーキングなどを実施しました。
苫小牧では駒大苫小牧高校のブラスバンドの演奏や洞爺湖まで移動してウィンザーホテル洞爺湖のランチなど楽しみました。
三陸の岩手大船度では世界遺産の平泉、中尊寺、毛越寺などにご案内しました。
花火、北海道と三陸の世界遺産、そしてふじ丸のアットホームな雰囲気がひとつになって作りだす独特な空間は居心地が良く、これもチャータークルーズだからこそ作りだすことができるのではないでしょうか。

【写真】
1枚目:苫小牧歓迎式典
2枚目:知床五湖散策ツアー
3枚目:登別地獄谷
4枚目:大船度港での振舞い

添乗員:松浦

ソネスタ・スターゴッデス号 古代エジプト文明への旅とナイル河クルーズ【後編】

ツアー期間:
2009年02月19日〜2009年03月02日

【前編】つづき。
6日目、ルクソールを出港。途中、唯一の水門であるエスナを通過。7日目、保存状態が良いエドフのホルス神殿の観光には船から馬車に乗って観光に出かけました。デッキで午後のティータイムを楽しむうちに日没となりました。ナイルの西岸に沈む夕日となつめやしの木のシルエットがとても美しく、これは、ナイル河クルーズの醍醐味のひとつです、
夜は、民族衣装を着てのガラベイヤ・パーティーで各国の乗船客とゲーム大会やダンスで大いに盛り上がりました。ちょっとした変身(?)もエジプトならではです。
8日目、舟着き場の目の前に建つコム・オンボ神殿は、2つの神に捧げられている二重構造の神殿でした。午後、クルーズ船は終点のアスワンに到着。ファルーカと呼ばれる白い帆かけ舟でナイル河をミニ・セーリングすると、風が心地よく、ヌビア人の船頭がヌビア民謡を歌ってくれました。ルクソールからアスワンまでは、神殿観光はもちろんですが、砂漠とナツメヤシやサトウキビ畑、中州での放牧風景などが眺めていると日本とは違う時間の流れを感じました。
9日目、クルーズ船を下船後のハイライトは、アブ・シンベルです。アスワンハイダムの建設によりナセル湖に沈む運命だった神殿をユネスコと世界各国が協力して高台に移築した大神殿の大きさと素晴らしさは、是非、ご覧いただきたい世界遺産です。夕方、空路でカイロへ。エジプト最後の2連泊は、ナイル河の中州に建つホテルでした。夕食は、久しぶりの和食をお召し上がりいただきました。
10日目、カイロ郊外のサッカラへ。世界最古の石造建築物と言われる階段ピラミッド、午後は、迷路のような民芸品の市場、ハンハリーリでドキドキしながら、値段交渉をして買い物を楽しみました。
11日目、最終日はエジプト文明の総集編として「エジプト考古学博物館」を2時間じっくり見学しました。ツタンカーメン王の黄金のマスクは、国外では展示されませんので、ここカイロでないと
見ることができません。他にも様々な遺品が展示されていましたが、これらがあのルクソールでみた小さなお墓の中から発見されたかと思うと意外な感じがしました。初日にピラミッドを見て、その後、ルクソールから南へ移動し、アブ・シンベルまで訪れた後、最後に考古学博物館を見学するとエジプト文明の流れがとてもよく分かりました。ナイル河クルーズでは、飛行機で移動するツアーでは訪れることのできない遺跡も観光でき、観光後も船内でゆっくり過ごすことができます。エジプト観光は、ナイル河クルーズがお勧めです。

【写真】
1枚目:エドフ停泊中のソネスタ
2枚目:ガラベーヤパーティー
3枚目:ファルーカ
4枚目:アブシンベル大神殿

添乗員:永井

ソネスタ・スターゴッデス号 古代エジプト文明への旅とナイル河クルーズ【前編】

ツアー期間:
2009年02月19日〜2009年03月02日

エジプト文明・・・誰でも一度は見たいピラミッドをはじめツタンカーメン王でも知られる日本から1万キロ以上離れた国エジプト。その文明の源といわれる「ナイル河」を4連泊のクルーズで過ごす旅。旅のはじまりは、首都カイロ。
イスタンブールのブルーモスクに似せたと言われているモハメド・アリモスクを観光後、三大ピラミッドが建つギザ地区へ。ピラミッドが見えてくるとバスの車内で大歓声が上がりました。滞在2日目は、1日300人限定入場の「クフ王のピラミッド」に入場。中は、大変蒸し暑く、腰をかがめての登りは、かなりつらいのですが、玄室まで登ると不思議なパワーを感じた気がしました。ナポレオン時代には首まで砂に埋もれていたというスフィンクスは、今は全身が出ていますが、意外と小さいというお声がでていました。
午後は、新王国時代のエジプトの首都、かつては、テーベと言われたルクソールへ空路で移動。ナイル河を望むホテルに2連泊しました。
3日目は、ルクソール東岸観光。映画の舞台にもなったカルナック神殿ではその大きさに圧倒され、夕方、日没後、ライトアップしたルクソール神殿は、とても神秘的でした。
4日目、王家の墓があるルクソール西岸観光では、謎の少年王「ツタンカーメン」の墓を見学。狭い階段を降り、鮮やかな壁画が残る玄室には、石棺が残され、ツタンカーメン王のミイラは、現在もここに眠っているそうです。観光後は、いよいよソネスタ・スターゴッデス号に乗船しました。2月とはいえ、強い日差しの中の観光を終え、広々としたキャビンに入り、ほっとしました。40㎡のキャビンはさすがにゆったりとしていました。ナイル河には約200艘のクルーズ船があるそうですが、全室スイート・キャビンの船はなかなかありません。ルクソールからアスワンまで約250kmを3日かけてゆっくりクルーズします。珠玉の神殿の数々を観光しながら、ナイル河のおだやな風景を眺め、河岸の緑とその向こうに広がる砂漠のコントラストがとても印象的なナイル河クルーズが始まりました。【後編につづく】

【写真】
1枚目:ピラミッド・スフィンクス
2枚目:モハメドアリモスク
3枚目:カルナック神殿
4枚目:ルクソール神殿

添乗員:永井

リオのカーニバルとイグアスの滝【後編】

ツアー期間:
2009年02月13日〜2009年02月27日
船名:
レディアンス・オブ・ザ・シーズ

リオデジャネイロに到着しました。ここで二晩停泊します。まずは、市内の観光に出かけました。標高709mのコルゴバードの丘に建つキリスト像は、リオデジャネイロの街のシンボルです。ブラジル独立100周年を記念して1931年10月に建てられました。海を眼下に建つこのキリスト像を見るとブラジルに来た、リオデジャネイロに来たということが実感が湧きます。
続いて、コルゴバードの丘と並ぶリオデジャネイロの観光名所、ボン・デ・アスカールを観光。グァナバラ湾に突き出した標高約400mのと呼ばれる花崗岩でできた1枚岩の奇岩を観光したり、ランチは、ブラジルの肉料理「シュラスコ」を楽しみました。シュラスコは、鉄串にお肉を突き刺し、粗塩を振り、炭火で焼いたブラジルの代表的な料理です。夜は、今回の旅のハイライトのひとつである世界最大のお祭り「リオのカーニバル」を特別観覧席でご覧いただきました。テレビや写真で見たことはありましたが、やはり間近で見る迫力は違います。1チーム3000~4000人規模で、200名以上の打楽器セクションからなるパレードは、地響きのようでした。カーニバルの終了は翌朝6時ですが、さすがに真夜中を過ぎたころ本船に戻ることにいたしました。
翌日は、休養日にあて、リオデジャネイロ3日目の朝、レディアンス・オブ・ザ・シーズを下船しました。目指すは、イグアス、世界最大の滝です。幅約4km、落差約80m、大小約300の滝を成すイグアスの滝をまずはブラジル側からご覧いただきました。その迫力は言葉では言い表すことができません。水しぶきがどんどんかかってきました。イグアスでのお泊りは、ブラジル側のイグアス国立公園内ある唯一のホテル「ダス・カタラス・ホテル」です。ちょうど改装も終わり、テラスでの食事も大変気持ち良くおいしくいただくことができました。
翌朝は、今度は車で国境を越え、アルゼンチン側から滝をご覧いただきました。最大の見どころは、「悪魔ののどぶえ」と呼ばれる滝ですが、圧巻の一言につきました。滝で濡れた洋服をホテルで着替え、空港へ。往路とは逆にリオデジャネイロからアメリカのアトランタ経由で成田空港へ向かう飛行機に乗り換えました。ツアー前半ののんびりとした寄港地とは対照的な迫力ある後半の4日間でしたが、添乗員としてもとても印象に残るツアーとなりました。

【写真】
1枚目:コルコバードの丘
2枚目:リオのカーニバル
3枚目:イグアスの滝
4枚目:ダス・カタラタスホテル

添乗員:石川

リオのカーニバルとイグアスの滝【前編】

ツアー期間:
2009年02月13日〜2009年02月27日
船名:
レディアンス・オブ・ザ・シーズ

当たり前のことですが、南米は日本と季節が反対のため、南半球は夏真っ盛りです。街も朝から活気がありました。
初日は、市内の大統領府や大通り、7月9日通りなどをご覧頂いたあと、早めにホテルに向かい、休息をお取りいただきました。夜は、本場タンゴショーで迫力のダンスに目を見張りました。
翌朝は、ゆっくりとお過ごしいただき、お昼前にラオラタ川の岸にある港へ向かい、レディアンス・オブ・ザ・シーズにご乗船。
翌日の寄港地、ウルグアイのプンタ・デル・エステは、南米でも有数の避暑地として有名です。現代美術のコレクション、ラツリ美術館をご覧いただいたり、砂に埋もれたオブジェ「プエルタ・デル・エステの指」を見て驚きました。その後、終日航海を経て、ブラジルに入りました。最初の寄港地イタジャイは、千葉県袖ヶ浦市と姉妹都市を結ぶ自然あふれる街です。ケーブルカーで森林地帯に入り、のんびりとビーチまでエコーツアーをお楽しみいただきました。翌日のサントスは、1908年、日本からの移民第一号の笠戸丸が到着した港です。街が一望に見渡せるモンチ・セハーの丘に登りました。続いて、「美しい島」という意味の名前を持つイラベラ、
そしてブジオスは、日本ではあまり馴染みがない名前ですが、ブラジルではいずれも高級リゾート地で知られています。クルーズの前半は、ビーチを中心に皆様にはゆっくりお過ごしいただきました。後半はリオデジャネイロからスタートです。この旅のハイライトである「リオのカーニバル観覧」と「イグアスの滝観光」が待ち遠しいです。
【後編につづく】

【写真】
1枚目:イラベラ(ブラジル)停泊中のレディアンス・オブ・ザ・シーズ
2枚目:大統領府(ブエノス・アイレス)
3枚目:プンタ・デル・エステの指のオブジェ
4枚目:モンチ・セハーの丘(サントス)

添乗員:石川

ツアー期間:
2009年01月30日〜2009年03月20日
船名:
カーニバル・スプレンダー

クルーズ後半は、見所の多い3つの景観クルーズが続きます。まずは、「ホーン岬景観クルーズ」です。
本船は、南米大陸最南端のホーン岬に近づきました。ここでは、岬周辺を一周し、岬を目の前で見ることができました。ホーン岬は、岩が断崖になっていて標高は424m。周りは流れの速いホーン岬海流が流れ、天候も荒れることが多く、航海の難所と言われています。岬を通過する経線が大西洋と太平洋の境界線だということを知りました。翌日は、パタゴニアの大自然が残るウスワイアに到着。国立公園を訪ね、蒸気機関車「世界の果て号」に乗車しました。皆様、大喜びの1日でした。
2つめの景観クルーズは、「ビーグル水道景観クルーズ」です。進化論のダーウィンが乗船した船の名を取り、東の大西洋と西の太平洋をつなぐ水路でもあります。ここでは、ペンギンの群れに出会いました。船上から眺めたのもいい思い出ひとつになりました。
南米大陸最南端の街プンタナレスを出港後、マゼランが最初に航行した長さ550Kmのマゼラン海峡を通航すると本船は南米大陸をちょうど半周したことになり、これから大陸の西岸を北上していきます。右舷側の国は、チリです。2日間かけて3つ目の景観クルーズである「チリフィヨルド景観クルーズ」に入りました。フィヨルドを抜け、小さな町プエルトモンに寄港。続いて、ヨーロッパ風の街並みの雰囲気が残るバルパライソへ。終日航海が続き、南米大陸一周クルーズも後半となりました。カリオ(リマ/ペルー)の旧市街は、これまでの国々と人々の顔だちや街の色遣いが違いました。そして、南米最後の寄港地エクアドルのマンタは空軍基地もあり、リゾートのビーチありというエクアドルでは7番目の都市でした。この日は、皆様、のんびりとお過ごしいただきました。
その後、本船は、南米大陸に別れを告げ、メキシコのアカプルコに向けて進んで行きました。
50日間・・・最初は、長いのではと思われたクルーズも見どころ満載であっという間でした。訪れた国は、南米6カ国(ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、チリ、ペルー、エクアドル)のほかに、アメリカ、ドミニカ、バルバドル、メキシコと全10カ国におよびました。

【写真】
1枚目:ホーン岬
2枚目:ビーグル水道景観クルーズ
3枚目:フィヨルド景観クルーズ
4枚目:ソトマヨール広場(バルパライソ)

添乗員:石川

ツアー期間:
2009年01月30日〜2009年03月20日
船名:
カーニバル・スプレンダー

南米大陸を一周する・・・陸路でなく、クルーズだからこそ実現できる壮大なスケールのこの旅。クルーズ船は、昨年7月に就航したばかりの「カーニバル・スプレンダー号」です。
フォートローダーデール(アメリカ)から乗船し、カリブ海を経て、南米大陸へ。最初の寄港地は、ブラジルのフォルタレザでした。旧市街のカテドラルは、5000名の信者を収容できる大きさでした。フォルタレザからは、南米大陸の東岸を南下して行きます。世界遺産オランダ歴史地区のあるレシフェ、ブラジルの古都サルバドルを経て、クルーズの前半のハイライトのひとつ、首都リオ・デ・ジャネイロに到着。海抜709mのコルゴバードの丘、絶壁の頂に建つキリスト像を見るとブラジルに来たこと実感しました。ランチは、ブラジルを代表するシュラスコ。鉄串に牛肉などを刺し、粗塩を振って炭火でじっくり焼いた料理でした。ウルカ海岸とベルリージャ海岸の間にある小さな半島に突き出した奇岩、ボン・デ・アスカールには、ロープウェイが通っており、2つのロープウェイを乗り継いで、世界的にその名が知れている美しい弧を描くコパカバーナ海岸を見下ろすことができました。
翌日は、終日航海。そして、前半のもうひとつのハイライトであるアルゼンチンの首都、ブエノス・アイレスに到着。ここでは1泊停泊しました。1日目は、アルゼンチンの牧畜(ガウチョ)の生活が体験できる牧場を訪れ、夜は、本場アルゼンチンタンゴシーをご覧いただきました。2日目は、南米のパリと言われる市内観光でした、行政の中心地にある五月広場やタンゴ発祥の地、カミートなどを見学しました。
翌日、本船は、一度、アルゼンチンを出て、ウルグアイへ。首都モンテ・ブデオでは、ツアーの皆様と徒歩で市内散策に出かけました。その後、再びアルゼンチン戻ります。
プエルト・マドリンを出港するとクルーズ後半に入り、後半の景観ポイントのひとつであるホーン岬景観クルーズに向かいました。
【後編につづく】

【写真】
1枚目:オランダ歴史地区(レシフェ)
2枚目:コルコバードの丘
3枚目:ブエノス・アイレス停泊中カーニバル・スプレンダー
4枚目:ガウチョ体験(ブエノス・アイレス)

添乗員:石川

ページトップへ